2012年7月2日月曜日

自己言及文としてのコギト命題

先週Twitterで書いた、自己言及文としてコギト命題の話。

 コギト命題とは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の前半部分、「我思う」のこと、だと思う。このコギト命題から思う主体、我を取り除くと「これは何かを意味している」という自己言及文になりそうだ。なぜならコギト命題の思う対象は、思う行為自体だから。もし思う対象が具体的ならば、間違える可能性がある。例えばUFOだと思って木星のことを考えるとか。デカルトは悪霊に騙される、なんて可能性まで考えている。 

さて、「これは何かを意味している」について。この文は自明に真ではないだろうか。もしこの文が何かを意味しているならこの文は真だから、この文は何も意味していないとする。すると、前の文は偽になる。偽になるということは、少なくとも意味はあるので、やはりこの文は真となる。 

やっぱりあまり説得力がないか。

2012/07/06 段落分けをやり直し。

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